大佛次郎について

1933頃 書斎にて
1966頃 茶亭にて

作家 大佛次郎 (おさらぎじろう)(1897~1973)

大佛次郎(本名・野尻清彦〈のじりきよひこ〉)は、1897年(明治30)10月9日、現在の横浜市中区英町(はなぶさちょう)に、野尻政助、ギンの三男二女の末子として生まれました。長兄は英文学者・天文民俗学者の野尻抱影(のじりほうえい)です。

1918年(大正7)、大佛は東京帝国大学法科大学(現在の東京大学法学部)に入学。当初は父の希望により外交官を目指しますが、演劇活動に熱中し、劇作家を志すようになります。演劇を通じて知り合った女優の吾妻光(あづまてる)、本名・原田登里(はらだとり)と在学中に結婚。大学卒業後は鎌倉へ転居し、教員や外務省嘱託として勤務するかたわら、傾倒していたロマン・ロランの訳書の出版、同人雑誌の発行、雑誌での海外作品の抄訳連載などの文筆活動を行いました。

関東大震災の翌年(1924年)、生活のために〈大佛次郎〉の筆名で書いた鞍馬天狗シリーズが人気となり、専業作家としての道を歩み始めます。その後、「照る日くもる日」(「大阪朝日新聞」連載)や「赤穂浪士」(「東京日日新聞」連載)と、人気作家として文壇でも知られた存在となります。

以来約50年にわたり、時代小説、現代小説、ノンフィクション、童話、戯曲と、幅広いジャンルの執筆活動を続けました。2000篇近い随筆では、日々の出来事を独自の視点で綴ったものや、環境破壊への警鐘など、時には社会に向けて強いメッセージを発信しています。

病床で書き続けた「天皇の世紀」は、未完ながら連載1555回を数えました。〈病気休載〉と記した最終回が紙面に掲載されたことを見届けた後、1973年(昭和48)4月30日に永眠。絶筆となった日記「つきぢの記」の最後には、「みんなしんせつにしてくれてありがとう 皆さんの幸福を祈ります」と書き残しました。

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