「90年前のメディア・ミックス<新聞・雑誌・映画> ―大佛次郎、登場―」
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要入館料
開催終了
大正末期から昭和にかけて新聞は読者を飛躍的に伸ばし、マスメディアとしての地位を確固たるものとしました。
「照る日くもる日」をかかげ、新聞小説という舞台に颯爽と登場した、若き大佛次郎の挑戦と、その周囲に展開する90年前の最新メディア<新聞・雑誌・映画>のタッグの行方=ネットワークのあり方にせまります。
大佛次郎は、“新聞小説の作家”と言われてきました。最初の「照る日くもる日」(大阪朝日新聞)から、遺作となった「天皇の世紀」(朝日新聞)まで約半世紀の間、ほぼ途切れることなく新聞連載を続けてきたからです。しかし今、急速に広がるインターネットを中心としたメディア(情報伝達手段)の多様化を背景としてとらえ直してみると、この“新聞小説の作家”という言葉は違った意味あいを帯びてきます。
今から90年前(大正の末期)、「大阪朝日新聞」「大阪毎日新聞」雑誌「キング」などが100万部の発行部数を超え、新聞や雑誌に載せた情報を、多数の人々に向けて発信するマスメディア空間が成立しました。連載された作品は、映画、舞台、書籍等とも連携し、人々の生活に大きな刺激を与えました。そんなメディア変革期のただ中に大佛次郎は登場したのです。
昭和の時代を通じて愛されるようになる“鞍馬天狗”というキャラクターをはじめて創造し、「鞍馬天狗」シリーズで縦横無尽に暴れさせました。「照る日くもる日」は同時期、大阪毎日新聞に連載された吉川英治の「鳴門秘帖」とともに大変な人気を博しました。
そして、新聞連載→複数の映画会社による競作→円本(1冊1円の廉価な全集もの)での販売、という複数のメディアの相乗効果で作品を広めていくメディアミックスが形作られました。
大佛の作品とメディアの関係を、現在(いま)の視点でみるとどう見えるでしょうか。紙と電子の新旧メディアが混在する今日、人とメディアとの関わりはより密接になりましたが、メディアとどう向き合うのか?その特性にあった内容・素材=コンテンツは何なのか?答えが見えない混沌とした状態です。90年前、大佛次郎は大衆文学という形で、当時のマスメディア社会に一つの答えを出しました。こうした観点に立つと、冒頭の大佛次郎=新聞小説の作家という言葉には、複数メディアをまたがってコンテンツを供給する創作者=クリエーターという新しい響きを読みとることができます。
皆さん、どうぞ、展示室に足を進めてください。そこには意外性に富んだ当時のマスメディア社会が広がっています。そして、そこで展開された試みは、驚くほど今と似ています。そんな中、作品がどのように流れ、人々に読まれていったのか…どうぞお楽しみください。 (なかむら・たけし / メディア史 / 大佛次郎研究会会員)
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展示概要
- 開催期間
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- 開館時間
- 4月〜9月 10時〜17時30分(最終入館17時00分)
10月〜3月 10時〜17時00分(最終入館16時30分) - 会場
- 大佛次郎記念館 展示室
- 会場住所
- 〒231-0862 横浜市中区山手町113
- 観覧料
- 高校生以上200円 小・中学生100円
- 主催
- 大佛次郎記念館(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団)
- 共催
- 横浜市
- 後援
- 朝日新聞社/神奈川新聞社/NHK横浜放送局
- 協賛(敬称略)
- 株式会社浦辺設計/加藤昌子/加藤一/小林敏志/滝田琇子/ホテルニューグランド/丸全昭和運輸株式会社/三井佑之/森田幸枝/横浜高速鉄道株式会社/横浜市金属建具工事協同組合